【 仲間を得ること 】

瞑想舞が始まってから、様々に出逢いも別れもたくさんあった。

仲間とともに日々何かをしていくって、大人になるとなかなか難しくなる。

何かの習い事であったりでないと、学生の頃のような「目標に向かって一丸となって」のような感覚のシーンが少なくなる。

家庭の事情、仕事、時間、経済的な問題…ひとりひとりが抱えることは千差万別。

だからこそ「一丸」ということが難しくもある。

仕事であれば、個性などは必要なくなったり…。

大人になると、出来ない理由が多くなる。

学生時代の部活であれば、その「理由」は大差なく、ライバルとの差も落ち込むか悔しがるかバネにするか…わかりやすかったのが、大人になるにつれ「出来ない理由」を自分に言い聞かせるようになる。

目指すもの、大切にしたいものを誰かと分かち合いながら手を取って前に進みたい!

きっと誰しも願うことだと思う。

大人になると互いが同じ時間の使い方ができないから、人と差が出てくることにジレンマが生まれる。

人のことを素直に喜べなかったり

焦りや、惨めな気持ち、モヤモヤしたなにか…

でも私には…という「自分なりの理由(笑)」。

今でこそ、他人との差ではなく
「自分が自分に納得する」かどうかなのだと気づくのだけれど。

瞑想舞にずっといて、感じることは「純粋な気持ちを大事にしたい」と感じてる人が多いから、みんながお互いに心地よい空間を作るんだなと…。

もちろん、ひとりひとり悩みや葛藤だってあると思う。

でも、
「私は私の大切にしているもの」
「あなたはあなたの大切にしているもの」
を大事にする。

だから、個々の個性がバラバラなのにひとつにまとまる。なかなか集団になると難しくなることだけど、瞑想舞に来る人は「心が安心する」場とよく言葉にする。

お互いに自然と大切にできる関係性を大事にしているからだろうな。

これは、瞑想舞を立ち上げた香織さんの「最初の想いの一つ」だからなのかもと思う。

その想いを続けているからこそ、なのだと。

集団や組織が何より苦手な私が、こうして今でも続いてるのだから、…多分そうなのである。

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