最近になってようやく気づく。
體を知るということ。
きっと、誰しも一度や二度感じることがあるかもしれない
日々の慌ただしさや出来事に身体も心もボロボロになって自分を見失い…という時を、私も過ごしたこともあった。
…まあ、今もせわしないけれど(笑)
人は、身体を壊して健康のありがたみを知る、自分を大切にしようと気づく、生き方を変える…
そう、失いかけてあらためて気づく。
当時の私は、そこまでいっても
自分を大切にしようとか考えられなかった。
ただ、
私には何もない
まったくまわりの世界がみえない
死も考えた…けれど、そんな勇気もなかった。
心配をしてくれる両親もいたけれど
私のなかはひとりぼっちだった。
絶望のなかにいる時は、「世界から切り離されてひとりぼっちで生きている」私だった…。
そんな時があった。
そして、気づかされた。
ひとりで生きている気でいた…のだ。
感情的なことでなくて
事実、自暴自棄であったって、死にたいと思ったって
そんな私の心とは関係なく、體は生きようとする。
私が肉体を持って生きているのでなくて
私と、肉体の内にある細胞とは切り離すことなく
今も今までも、そして命が終わるまで一緒に在るんだと。
もちろんその體のなかでも生死のめぐりは続いているけれど、
彼らは、私がどんな人間であれ選ぶことなく共に全うしているのだと思ったら
なんだか…胸が熱くなった。
私が今、瞑想舞を続けているひとつに
もちろん、舞を通して
内側に在るもの、純粋な祈りを表現することや
美しいと感じる所作を私も自然とできるようになりたい
ということもあるけれど
この體が自由に動けるようになりたい
そういう想いがあるから。
心や思考、意識は時空を超える
『今』あるけれど、常ではなくて
過去にも、未来にも、自在に移ろう。
その自在に移ろうものを『今』に留めるのが體なのだろう。
瞬間瞬間の『今ここに在る』。
その『今』を知る、
最近になってようやく気づく。
體を知るということを…。
そんなことを、ふと思い出す。